Once around a small world.

将棋で言う「詰み」、とまでは行かないが、打開策がどうしても無いという時は、人であれば誰でもあり得ることなのだけれど、僕の場合は「時間が答えを出してくれる」というような、言わば「期を待つ」という方法を選ぶことがどうしても苦手だ。

目の前にあることに対しては、どうしても関わらないと気が済まない。関わらない方が明らかに良化の兆しが見えるだろうと言う事以外は放置しておけない。性分である。関わるべきかそうでは無いのか、決定をしなければならない時というのは、目の前にある事ならばどうしても関わってしまうので、身をその事柄から離すしか方法が無い。離れたならば、その間の時間は自然に稼げるし、何かがあってもパソコンと回線さえあればほぼ対処が出来る仕事だ。まあ、1年前の事のようなことがあれば、どうしようもないけれども。

こんな時は果たして一体何を撮りたかったのか、後から撮った写真を見てみても、さっぱりわからない。そこにあるのはただただ混沌であって、シンプルでは無い今の自分のそのままである。いらないものがたくさんあって、単焦点レンズでシャッターを押す時にも、もう一歩を踏み出したり、人がいなくなるのを待ったり、もう一絞り開けることができない。

近頃魅かれているのはモノクロだ。見えないものが見えるような気がするのだ。映した結果がすぐわかるデジタルで無ければなお良い。CONTAXのRXというカメラに50mmのプラナーと、Tri-xのフィルムだけで撮る事が楽しい。集中できる。じゃあカラーネガやポジであればわかるのか、と聞かれても困るのだが、今は映して出てくるものに対して、すべて嫌悪感が湧く。こうやってデジタルで映したもの達を脱色したり、レタッチすることじたい、何か間違っているような気すらする。出てきたものが全てで良い。頭ではわかっているけれども、ある周期において、僕は、僕から出てくるもの全てが嫌になる。自分が関わっているものも自分自身も。はっきりさせるには、文字通り白と黒だ。そういった生き方しかしてきていない。

現像の上がる木曜日に、決着をつけてしまおうと思う。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。