Monthly Archives: 9月 2011

Stay

バンコクを良く訪れるのは、仕事以外の理由としては、主に楽だから、というのが真っ先にあるのだけれど、人に紹介するとなれば、治安、物価、利便性のバランスが取れている、と説明するのがわかりやすい。もちろん、治安の面では日本に勝る国というのは、幾つかの国を周ってきた経験上、なかなか無いのではと思われるのだけれども、「警官が金に汚い」という面と、頻繁に聞くスリの話を除いては、おおよそ安定しているように思える。まあ日本ほど安心して歩けるわけではないけれども、絶えずアンテナをビンビンに張っていなければならない程でも無い。個人的には、ロスを歩くよりはアンテナを張らずに済む。まああちらは、どちらかと言うと、ホールドアップが嫌なのでアンテナを張らなければならないのだけれど。
物価に関しては、わざわざここで書くまでも無いかもだが、おおよそのばらつきはあるにしても、日本の1/3程度と言って差し支えないと思う。利便性に関しては、まあ渋滞が溜め息がすでに出ないくらいにすごい事と、タクシーとの交渉が面倒くさいことだ。しかしながら、そのタクシーは掃いて捨てる程いるし、BTSとMRTも充実してきた。国鉄を除く駅沿いに宿を取れば、全然なんとかなる街だ。まあ取らなくても何とかなるのだけれど、僕は特に雨が降っている時の、タクシーのあの強気な値段交渉とかは、言語の問題いかん関係無く、普通にうんざりする。向こうは人件費がドカ安であるから、みんな生きていくために必死であるのだけれども。

我々日本人がバンコク(まあタイならどこでも良い)に旅行に行ったとして、物価の恩恵を最も享受できるのは、ホテルだと思っている。夜遊びしまくるのならばさておき、一般的な観光や、一般的な食事を取るのであれば、最もお金を使うのはホテルだからだ。

バンコクはホテルが文字通り乱立していて、これだけのうんざりするほどの観光客をもってしてでも、供給過多であるのと、物価、人件費の安さ等々の理由から、日本では憧れの対象であるホテルがびっくりするくらいの値段で泊まれてしまう。そしてもちろん、部屋は日本よりも広い。僕はブランド志向でも何とも無いのだが、有名なグループで言うと、シェラトンやウェスティン、インターコンチネンタルでも、ツインルームやダブルルームが1万円そこそこだ。シングルは無い。日本のように2人部屋に1人で泊るからと言って、お高くなることは殆ど無く、部屋で金額が決まるような感じである。つまりラブホだと思ってくれれば良い。ちょっと違うか。

では、その恩恵を享受して、良いホテル泊ってるのでしょうね、ということになろうかと思われるのだけれども、そういった有名ホテルの朝食ビュッフェや、ランチバイキングに行くことはあるが、逆に勿体なくて泊れない。(昨日行った京王プラザホテルの、3800円ランチバイキングとか本当にあほらしい)

最初に訪れた時は、まあ、治安の面も行ってみない事にはわからないし、そこそこよさげなホテルを取っていたのだけれども、3~4000円出せば、充分なロケーションと、広さと、セキュリティと無線LAN等が完備された、新築のホテルやサービスアパートメントが雨後の筍のように乱立している。幾らシェラトンだからと言って、10000円も出すのはおおよそ勿体ない話なのだ。まあ新婚旅行だったら考えないでもないけれども。

僕の実家がホテル経営だったということも関係があるのかどうかはわからないが、とにかくこういった乱立するホテルがどのように違うのか、どんな部屋があり、どんなサービスがあるのか、と、例えば、10日の旅行で5~6回ホテルを変える、という訳のわからないことを繰り返すうちに、バンコクで泊ったことのあるホテルは30を超えた。昼間に大きいスーツケースを抱えてひいひい言いながら、細いソイを汁を垂らしながら移動しているわけだ。すなわち、僕はこの国には買い付けと、ホテルを愉しみに来ているようなもので、チェックインしたらまずは部屋の写真を撮る。明らかに間違っている。だいたい写真を撮ってどうしようというのか。

というわけで、バンコクのホテルのレビューをします。(なんだそれ)

Bridge Over Troubled Water

体調悪く、しばらく静養。マシになったかと思うと、またもやクリティカルに心の臓を打つような出来事が起こる。安定とは無縁の人生。「まだまだおまえは苦労のしようが甘い」と、かなり痛いことが頻繁に起きるのは神の仕業か、自らの業なのか。一歩前進、二歩後退。One step up,two steps back.

Running To Stand Still

昨日の夜、東京ビッグサイトでギフトショーを開催中という話をMさんから伺い、速攻で行ってきた。広角レンズは無かったがいちおう。(入りきれてないし;)

さて、ギフトショーって何だよ、という声が聞こえそうだが、まあこれはいわば、パーソナルギフトと生活雑貨の国際見本市ということである。つまり、メーカーやデザイナーブランド、輸入元がブースを出し、小売りや卸が新しい商材を見つけに来たり、コラボりませんか、と提案しに来たりする訳である。

扱う予定の商品と似たものが、どのくらいの下値とロットで買えるのかなあと思って来たわけだけれど、マッチするものは無かった。まあ僕にはセンスが無いから見つけられなかっただけなのかも知れない。未だ固定客を持たないウチには、これお試しで入れよう、という商材は、まあ全体的に粗利が取れないので手が出しにくい。商売としてはブースを作って出した方が現実的かも知れない、と思った。

商売関係無く、ぐるりと会場を周って思ったのは、メーカーはキャラクター作り、もしくはヒット商品作りに必死だということ。これはまあ我々日本人の特性としては、当たり前なのだけれども、差別化を図ろうと必死に考えた結果、出てくるものがどのブースも画一的に見えてしまうのも我々の弱点かもしれない。

実現可否は置いておいて、極端な発想から生まれることは非常に多いと僕は思っているのだが、我々日本人は両極端の幅が狭いんではないだろうかとも思っているのだけれども、どうだろうか。

アイデアはちょっとしたことから生まれるが、その人の歴史を通っていないアイデアは絶対に出てくることは無い。だから僕は、どこへでも行くし、何でも見るし、何でも聞く。興味の有無は関係ない、と言いたいところだけれど、これはまあ、自分でも気付かないところで趣向として出てしまう。ただ、きちんと意識していなくてはいけない。正しい立ち位置にいるためには、実は、ずっと走っていなくてはならないのだ。

昼食は4Fの香港飲茶楼で3コンボのランチ。アメリカのフードコートに必ずと言っていいほどある、パンダエクスプレスを彷彿とさせるシステム。こういった、リピーターを期待しない場所にある、いわゆる土産物商売をするレストランは、人をさばくシステムは向上しても、味は向上しない。パーキングエリア理論とでも言おうか。食えない味じゃ無かったけれど、誰も満足はしないと思う。

Scenes From an Italian Restaurant

今日はカルボナーラの話。タイトルが文章にも写真にも関連が無いことに後から気がついた。これは今日行った原宿の”Wolfgang pack”なのだけれど、ここは、ちょうカリフォルニアレストランだった。

僕はパスタが大好きであり、自分でもよく作る。料理を作るのは楽しいが、パスタは格別である。茹でている間にフライパンではソースをつくり、茹った時間とのベストタイミングで一気に絡める。これが楽しい。どちらかが遅れるとダメになる。非常にシビアな料理だ。

ボンゴレビアンコとカルボナーラは、その中でも僕が非常によく作るパスタであるからして、外でパスタを食べる時でも、外で食べる時ぐらいは他のメニューを注文すればよいのだが、どうしてもどのくらい美味いのかと気になってどちらかを注文してしまう。

ここのパスタの茹で加減は非常に良いものであったが、僕の好き嫌いを除いても、ソースについては、確かに濃厚ではあるのだが、化調系の味が目立ち、いまいちというものだった。ベーコンは弾力があり、こういう出し方も(カリカリではなくとも)良い。ただ、わざわざ食いに来るレベルでは無い。というか、名物はハンバーガーということで。非常に失礼を致しました。

バンコクのスクンビットソイ19-1にBIG-MAMAというイタ飯屋がある。10日ほど前に食べたばかりだというのに、懐かしくてたまらない。国内では奈良の新大宮にあったBabyFaceのカルボナーラがトップ。東京で美味しいパスタ屋は幾つか紹介してもらったけれど、カルボナーラはこの2つの店を超えてくれない。

まあ、自分で作ればいいんだけどね。昔は、僕が作ったカルボナーラはおおむね好評だったと思うのだけれど、今ははたしてどうだろう。

Train kept a rollin’

「中央線」という曲はあるのに、「京王線」という曲は無い。そういう話をしたら、

「企業名入ってるからじゃん?」

と、何言ってんのこいつ的に真顔で言われた。でも「井の頭線」つーのもねーじゃん、とは言わないでおいた。歳を経ると、どうでもいいことについての争いは避けるようになる。

東京で面白いと思ったのは、駅毎にひとつの「まち」になっていること。大阪のそれとは全く違う。駅を中心として放射状に「このまちで暮らしを完結できる」ように作られているように思える。僕の住んでいるこの駅は、急行停車駅にも関わらずいまいち栄えていないものの、おおよそ高めの嗜好をせず、やんわりと日々を送って行くだけならば、ほぼ何でも揃う。幹線道路に一定の間隔で駅を置いてみました、というような大阪市内の駅はつまらないが(勿論全てでは無い)、東京のそれは駅毎の特色がまったく違っていて、ある1つの駅に降りて、歩いてみようと思わせる愉しみがある。

23区内に限定して、僕の住む京王線沿線の中では、抜群に住んでみたいのは仙川だ。電車さえ、もう少し利便性が高ければ、おそらくここに住んでいた。平和でいて、洗練されていて、素敵な雑貨屋やカフェがあって、吉祥寺や下北沢のようにごみごみしていない。もう少し大きなまちが良ければ、隣の駅が千歳烏山だ。ここも暮らすには良いまちだと思う。

登記直前なので引っ越すわけには行かないのだけどもね。