Monthly Archives: 7月 2014

On the turning away 1

そう言えば、カンボジアに行って来たのだった。

写真のアンコールワットは一度行っておかなくては、と思っていたのだけれど、この遺跡のあるシェムリアップは、日本からの直行便が無く(今年の9月から就航するらしいけど、お値段バカ高、7万からとかもう)、どうしてもブノンペンか、もしくはバンコク経由の乗り継ぎになってしまう。他の手段は長距離バスによる移動となるが、これは死ぬ。舗装された高速道路に、整備されつくされた新しめの日本製の大型バスが脳内デフォルトの日本の方には想像できないかもしれないけれど。

さて、博打によるあぶく銭を手にして、何に使おうか考えていたのだけれど、日頃から絶えずアンテナを立てている、海外格安航空券をチェックしていたら、日頃の行いが良いせいか、日本→バンコク間が、出発日限定で25000円コミコミという信じられない価格で上がっていた。
しかしながらこの都市に関しては、すでに行きたいなあと思う場所も無く、まあ、飯に関しては少しそそられるものの、もう行く気はそうそう起こらない。ぶっちゃけ飽きた街なのだ。

シェムリアップに関して、何故今まで僕が行くのを躊躇してきたのかと言うと、ぶっちゃけ値段の問題。ローシーズン4泊5日あたりのツアーでも10万はくだらない。また、バンコク→シェムリアップ間の飛行機は、いわゆる飛行機会社にとってのウハウハドル箱路線で、東京―大阪間くらいの距離のくせに、往復3万はする(観光しか能の無い都市だからといって観光客を舐めてる!)。しかし、何度も言うようだが、僕は日頃の行いがすごぶる良いので、バンコク→シェムリアップ往復1万ちょいの超プロモーションチケットが、東京→バンコク行きアホ安チケットを取った場合の滞在期間とぴったり合致して出ている。ああ、自身の神がかり加減を再認識する瞬間。

そしてその神(俺)は速攻でチケットを取り、最低限セキュリティボックスが部屋についていて、市内中心部にアクセスの良い現地のホテルをAgoda、Expedia、Booking.com等から最安値を調べてアサインし、手持ちの円をドルに新宿で両替し、いつもの小型スーツケースに旅行セットを放り込み、当日は飛行機に乗り込んで、ipadでハングオーバーという下品な映画を鑑賞しつつ、先ずはバンコクから近いパタヤビーチでまったりした4日後にカンボジアに向かった。まったりしすぎて、空港までの足を確保するのを忘れて一騒動ありましたが。おそらく、神は足の確保を忘れたりはしない。

fromair

全ての電子デバイスの電源を切らなければならない、着陸の寸前に撮ったシェムリアップ。とにかくすげえ埃っぽい。たいがいの皆さんは、まずホテルについたら、大きなベッドに飛び込みたくなる衝動に駆られると思いますが、ここシェムリアップではやめといたがいいです。砂でシーツの上がザラザラになって、その日の夜はさんざんな思いをすることになるから。粘膜がデリケートな人はマスク必須の街です。

tuktuk

空港まで迎えを来させるよう、ホテルには事前にメールで連絡をしておいたのだけど、もちろん返事など無い。けど、ちゃんと来てました。まったく笑わない若いお兄ちゃんの運転するトゥクトゥクならぬ、ホンダスーパーカブに荷台をつけただけのよくわからない専用車でホテルへ。その道、観光の予定あるなら案内するけど?とのことで値段交渉。事前に調べていた価格より安いのでお願いすることに。観光客はだいたいボラれるものだけど、かなり良い人にあたった。英語は俺よりも堪能だし。やるなカンボジア。

bunonpaken

写真はブノンパケンという山の上にある遺跡。この上から夕日を見るんですが、残念ながら日の沈む方向が厚い雲におおわれているのと、夕日待ちの観光客ども(日本のお隣のおっきな国)の陣取り合戦がうざいので、早々に退散。トゥクトゥクを待たせた入り口から、30分ほど山登りをするという、到着直後の荒行。ゼーハー言いながら登って収穫はほぼなし。トップの写真はここから見たアンコールワットですが、アンコールワット方面には沈まないし。

IMG_0375

山登りの最後に待っている、とんでもない角度の階段がこちら。
ちなみにカンボジアの遺跡巡りにほぼ言えることですが、車やトゥクトゥクを止める遺跡入り口からは、かなり歩くことが多いです。僕みたいに健康に不安のある人にとっては、なかなか辛い観光地かもしれない。

この後、「アンコールワットも見るよね?」って聞かれたけど、あまりの疲弊っぷりに

「・・・外から見るだけでいいわ」

と答え、適当に流してホテルへ。その後、観光客は使用禁止のバイクを借りにオールドマーケットに行って(あくまでも合法的に借りています)、飯食ってその辺で酒ちょっとだけ飲んでこの日は終わり。明日はこの街に来たメインイベント、天空の城ラピュタのモチーフになったと言われているベンメリア遺跡へ。

ということで、なんとここまで来ておいて、結局、最後までアンコールワットに行かなかったという選択。この街来てアンコールワット見ない人とかいるのかという。

Public enemy

写真とは全く関係が無いことで恐縮なのだが(写真はシェムリアップの裏路地の野良猫である)、最近とみに思うのは、Facebookが非常に面倒くさいことである。

日本のSNS(ソーシャルネットワークサービス)において代表的な3つを上げるならば、現在はLINE、Facebook、Twitterということになると思う。あくまで僕の見解ではあるのだけど、この3つのツールの定義をそれぞれ簡単に括るとすると、

・LINE 最も私的なツールとして活用でき、完全な公的なツールとしても活用できて、IDをどのように使うかを定義することによって、汎用性も高い。

・FaceBook 現在、公的なツールとしては最も有用。私的な利用は、利用者間で大きなコミュニケーションエラーを起こす可能性がある。

・Twitter 私的な利用は鍵をかけないと、社会的に大きな騒ぎになる可能性がある。不特定多数へのコミュニケーションツールとしては最も有用。

と僕は解釈している。

さて、最も個人間でトラブルが多いこのFacebookであるのだが、使い方が実は非常に難しい。トラブルをほとんど避けられる使い方としては、全ての自分の記事を「完全に公開する」にし、当たり障りのない、誰にでも見せても構わないトピックしか上げないことである。何が面白いんだそんなもん、という向きは確かにあるのだけれど、だからこそ公的なツールとして非常に有用なのである。

しかしながら、個人として使用を開始すると、そのうち、これは全員にはみせられないな、と思うようなトピックが出てくるわけである。するとまあ、最初にやりがちなのは「知り合い」と「友人」に仕分けをすることである。そして、その新たな投稿を「友人」に限定公開する。まあこれでもその友達の友達(ややこしいな、的確な表現はないものか)は友達がレスをしてしまえば見れるわけで、その友達の友達は、僕のトピックを見て「あ、自分には公開されてないんだ。私はハミにされてるんだ」と薄々気づいてしまう。

こういったことは以前からよくあったことなのだが、最近のスマホのFacebookのバージョンが上がって、今度はスマホでも、公開相手を1人単位で指定できるようになったことで、より密閉性が高くなったわけなのだけれども、今度はこのカスタムしたグループが地元のメンバーなんかであって、飲みの席なんかで、「この前のFBの記事でさー」なんて出ようものならさあ大変。そのグループに入れられていない人は、自分がハミにされていることがわかってしまい、ものすごく落ち込んで、僕の知っているその人は、あろうことか、Facebookを辞めてしまった。ああ、なんて残酷なツールなのか。

つまり、Facebookの設定について、ある一定以上の知識が備わっている人で集まっているのであれば、こういったトラブルは知らん顔をしているか、そのグループの人たちだけで集まってればいいのだが、なかなか世の中そうはいかない。すべての投稿を「公開」にするかわりに、公的な(仕事など)人とはFacebookでは繋がらない!としている人もいるし(それも賢い選択だと僕は思う)、何も考えずに面白いと思ったことだけを完全公開で投稿する人もいれば、自分は投稿せずに他の人の記事を見るだけ、という人もいるし、人の記事に「完全に公開する」のアイコンがあるにも関わらず、空気の読めな過ぎるコメントを投稿する不届き者(本人に悪気があるわけではないのだ、たぶん)だっている。期初の挨拶に対して、

「またまたー、昨日あんだけ遊んでて説得力ありませんよー(^^」

等書かれたら、おちおち顧客に対して真面目な投稿なんてもう絶対にできない。

さて、僕の場合なのだけれども、ほとんど個人間で交流の無い人は、得も言わず、「知り合い」に放り込んでいる。そして投稿のデフォルトは「友人限定」が最も多い。友人限定から更にカスタマイズをすると、個人間のトラブルはいつか出てくる。

「え、それ俺知らないけど」
「~~さん、Facebookぜんぜん投稿しないんだねえ、近況とか見たいから投稿してよ」

僕はこれらを言われるのは、ものすごい嫌なことなのだ。僕は、僕のやることで誰にも傷ついてほしくない。人を傷つけるしか方法が無い場合、絶対に自分が一番傷つく方法を取るから!

しかしながら、その「知り合い」と「友人」の仕分けの壁というのは、ほとほと難しく、自分にまったく絡んでこない人は「知り合い」に放り込んだり(だって僕へのニーズが無いわけでしょ?)しても、ただ読んでるROM(read only member)スタイルの人だったり、じゃあもう当たり障りの無いことを公開で、としても、いちいち「社員の人は仕事してんのに何してんの」と言ってくるめんどくさい輩はいるわけで、もう、ほんとなんやかんやで面倒くさい。

僕がはっきり仕分けるのに躊躇しないのは、相手のタイムラインで「完全に公開」の記事しか見れない場合だったんですが(自分が友人として設定されてない確率が非常に高いから)、なんでもかんでも公開でしか投稿しない人もいるわけで、あああもうめんどうくさい。あと、気づいたらその人の記事がいつしか見れなくなっていたり(つまり友人からはねられた)、結果、Facebookに振り回されて引退する人の気持ちは、非常によくわからないことも無い。

そうしていつしか、個人間の交流がある人限定では無く、人間関係に阻害を及ぼさない範囲で知り合いと友人を分けて、当たり障りのない記事だけを投稿するようになるわけです。

お義理のいいね!の数とかいちいち気にするようなネット依存症の人は、私的なツールとして使うのそろそろやめたら?という話。人を傷つけるのは嫌だけど、僕は人にどう思われてるのかまったくどうでもいい人なんでね。嫌われることが清々しいくらいだからまったく気にならないけど、純粋な人はFacebookにはほとほとむいてないよ、という話。

holiday in the sun

※モバイルでアクセスの方は、この記事の下にある”mobile theme”をOFFにしないと写真が見れません。

タイの祝日は、お店でお酒を出してはいけないし、コンビニで買うこともできない。
僕はお酒が好きではない(飲むことは可能らしい、なかなかの量を)ので、まったく問題が無いわけだけれど、夜はものすごく暇になる。なんたって飲み屋がやってないから!

微笑みの国の祝日。

Independent

人に迷惑をかけないようになりたいと言うならいい方法がある。

君が人に関わらなければ良い。ならば人に迷惑をかけることは無い。

納得できないなら、君は正常だ。

Going further

旅行や仕事で遠出する時は、できるだけ身軽に移動したい。

僕は価値の無いことに対して「待つこと」が好きじゃない。例えば、旅先の空港に着いて、カートから荷物がガタゴトと出てくるまでのあの時間。その上、ガタゴトと動き出してから、もう結構な時間が経つというのに、自分のスーツケースが未だ影も形も見えないあの無駄な時間。そして、あろうことか、待ち続けた1時間後なんかに、手違いでとんでも無い国の聞いたことも無い街に運ばれてしまいました、という、残酷極まりない死刑通告も受けたことがある。もちろん、航空会社は、スーツケースの中身を代わりに買い与えてくれたりしないし、あってせいぜい、片道分に及びもしないマイレージや(二度と使うかこのハゲ)、提携ホテルの宿泊券とミールクーポン。長旅で早々に着替えてしまいたくても、代わりの服は無く、では空港のLANスポットで買い物のための調べ物をしたくてもPCは無く、航空会社の係員に怒り狂ってみても、日常茶飯事のためか、べつだん、あちらさんは仕事以上の誠意すらも無いのだ。

「服を着替えたいのだけど」
「トイレはあちらの先にございます」
「や、だから、スーツケースに入ってるんだけど」
「明後日にはお送り致します、サー。」
「や、だから気持ち悪いから今着替えたいの」
「空港からこの駅に向かいますとショッピングモールがございますが」
「・・・。」

行き先が極寒のヨーロッパや、長い旅程ならば大きなスーツケースの移動は致し方ないけれど、この事件があってから、僕は遠出する時の価値観が大きく変わり、先ずやったのは、手荷物として持ち込み可のミニスーツケースを購入したことだった。二度と荷物なんて預けてたまるかと。

すると今度は、機内手荷物にはいろんな制限が出てくるわけで、まあ、「ライターは1人1つまで」とかなら、そりゃまあわかるが、ジェル状の整髪料や、エチケットシザーや、お土産で買ったアロマオイルですらばんばん撥ねられる。ハイジャック防止や、引火性の何らかの持ち込みの禁止は、航空会社として責務ではあろうが、いったいどこの世界に鼻毛カッターでハイジャックを企むタリバンがいるというのか。

チェンマイで雑貨の卸しをやっていた2年前の頃には、寝過してTシャツとスウェット、持ち物は財布とパスポート、スマホという、コンビニでも行くのかという格好でタクシーに文字通り飛び乗り、すんでのところで成田から飛んだが、さすがに周囲からの視線が痛かった。機内では「あら、寝巻きなんて準備がいいのね」くらいで、どうでもよくなっていたものの。

つまり、東南アジアなんかでは、着いてからはとりあえず屋台とスーパーで大体のものが揃うわけで、まあ、気合い入れてリゾートや高級街なんぞでいい服着てコード有のレストランなんかに行くので無ければ、どうにでもなるっつー話ですよ。んなブルジョアな海外行きなんぞ俺には一生関係ねー(笑)