I don’t know what happen with me.

後悔はしない主義だけれど、戻りたい、と思うことはある。
東京に住むことになってから、なおさらそう思うのかもしれないが、みんな自分が生きることに必死だ。

心の隙間をお酒で埋めたり、波長の合う友達で埋めたり(これはまあお互い様なのかもしれない)、何かしらの日々のストレスを、何かしらに依存することで埋めてる。これは、僕の住んでいたどこの国でも眺めていた光景で、人ってのは、そういうものだと思っていて。
人の輪に入ることが苦手な僕は、そういった人たちを眺めては、いろんな事がいろんな人の身に降りかかって、悲しい思いや楽しい時を繰り返して、その人となりっていうのは出来ていくもんだな、って、まあ当たり前のことを思っていて。ただ、たまたま何かの席で一緒になって、話を聞くことになる場合、僕は、その悲しんでいる本人以上に、悲しい気持ちになってしまう。つまりは、「思い」に影響されやすいのだ。

「話を聞いてあげる」うちに「同化してしまう」わけなのだけれど、たいした話じゃなけりゃあ別に良い。怒っている人の話には、まあトンデモじゃない限り、いくらなんでもそれは、という話には大いに同調するし、優しい話にはホロリとくる。だけど、きつい話の場合は、結果的に、殆どの場合、僕のこういう性質が自分自身をすごく傷ませる。ほんと残念ながら。
よく話しやすい人と言われる。だけどそういう性質が、自分にとってすごく大事な人であっても、その大事な人は遠ざかってしまう。傷んでいる僕を見て、話さなければよかった、と言われてしまう。けれども、僕は、もっと、大事な人のことを知りたかったのに、だ。
タイミングが悪かった、と言ってしまえば、それまでかもしれない。ただ、こういったことが起こるまでの、あの短くも楽しかった、あの時期のあの空気感。冗談も気軽に言えて、気軽に遊びに行けていた、僕にとっては幸せだったあの時間。

この人はもしかしたら間違いなく、と、友人関係の希薄な僕の、人生上何度も無いであろう感覚が、すっぱりと消えてしまった喪失感で今は覆われてる。

 
嘘を言って別れた、家族同然だったきみ。心臓発作で急に消えてしまったきみ。

 
こんな短い間に、あの人はいきなり現れて、そしていきなり消えてしまって。よほどショックだったあの頃と比べたら、こんな短い期間しか無い人なのに、同じような思いをしている自分に、ものすごく戸惑っている。

こんな直近に起こったことなのに、もう戻れないことがわかってしまう。戻れないことがわからない歳のとり方はしてこなかったから。そして僕は、何かしらに依存して何かを埋めることはできやしない。自分の中で戦うしか無いのだ。折り合いをつけるしか無いのだ。

 

 

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