Monthly Archives: 3月 2012

Shot in the morning.

思い悩んでいても地球は周り、朝はやって来るので、受動的になるよりは、能動的に関わろうとする方がよほど健康的な考え方だと言えるだろう。

Keep the faith.

フィルムの現像が上がって来た。

白黒をはっきりさせたい時期だったのだけれど、使ったフィルムはTri-xで、撮った写真たちは、ものすごく優しい映りをしていた。上の写真は初CONTAXの日に撮った、益子焼のお店の写真。現場のトラブルで予定も信用もお金も吹っ飛び、かなり叱った日。

何をしに益子まで来たんだろう、とすごすごと宇都宮まで再度1時間バスに揺られながら帰っていると、尋常じゃない雪が降って来た。東北新幹線のダイヤも狂い始め、なおかつ、その日に起こった事でたいそう頭痛がしていたので、その日は宇都宮に泊まった。

今になって考えると、人なんてそうそう変わる事は無い訳で、その人の歴史をよく知っている、自分という立場なのであれば、なおさら信頼を置くべきではなかったとも思う。

そもそもキャパシティが無く、自分がどれだけ非道な事をやってきて、また、過去に蓋をして自分がどれだけ人の道を外れていることをやってきたかを見詰めずに、現在の享楽に興じるだけの人間であるのだから、いつかは僕に刃が向かって来るのは必然であった訳だ。

情けをかけ、お金や住む場所や立場や食べるものや更生の機会の面倒を見てきたのは全て僕の自慰であるわけで、彼からしたら、そんなものはただのラッキーでしかなかった訳だ。

僕は、悲しむ人間が増えることの片棒を担いでしまったことに関して、悔恨の念の真っ只中にいたのだけど、こんな事で立ち止まっている暇もないし、悠長な事を言っていられる立場でも無かった。

僕がへこんでいようが、落ち込んでいようが、僕は僕を信頼してくれている周りの人に対して、懸命にやっていくことしか道は無い訳で。

今回ばかりは、危うく、自分が歩んでいる、理想とすべき当たり前の道を踏み外すところだった。白黒なんて最初からついていたのだ。僕は認めたくなかっただけで、懸命にやることで自分を納得させようとしていただけだった。

自分のやるべき事なんて、最初からもう自明であった。迷う事はもう、無い。

Once around a small world.

将棋で言う「詰み」、とまでは行かないが、打開策がどうしても無いという時は、人であれば誰でもあり得ることなのだけれど、僕の場合は「時間が答えを出してくれる」というような、言わば「期を待つ」という方法を選ぶことがどうしても苦手だ。

目の前にあることに対しては、どうしても関わらないと気が済まない。関わらない方が明らかに良化の兆しが見えるだろうと言う事以外は放置しておけない。性分である。関わるべきかそうでは無いのか、決定をしなければならない時というのは、目の前にある事ならばどうしても関わってしまうので、身をその事柄から離すしか方法が無い。離れたならば、その間の時間は自然に稼げるし、何かがあってもパソコンと回線さえあればほぼ対処が出来る仕事だ。まあ、1年前の事のようなことがあれば、どうしようもないけれども。

こんな時は果たして一体何を撮りたかったのか、後から撮った写真を見てみても、さっぱりわからない。そこにあるのはただただ混沌であって、シンプルでは無い今の自分のそのままである。いらないものがたくさんあって、単焦点レンズでシャッターを押す時にも、もう一歩を踏み出したり、人がいなくなるのを待ったり、もう一絞り開けることができない。

近頃魅かれているのはモノクロだ。見えないものが見えるような気がするのだ。映した結果がすぐわかるデジタルで無ければなお良い。CONTAXのRXというカメラに50mmのプラナーと、Tri-xのフィルムだけで撮る事が楽しい。集中できる。じゃあカラーネガやポジであればわかるのか、と聞かれても困るのだが、今は映して出てくるものに対して、すべて嫌悪感が湧く。こうやってデジタルで映したもの達を脱色したり、レタッチすることじたい、何か間違っているような気すらする。出てきたものが全てで良い。頭ではわかっているけれども、ある周期において、僕は、僕から出てくるもの全てが嫌になる。自分が関わっているものも自分自身も。はっきりさせるには、文字通り白と黒だ。そういった生き方しかしてきていない。

現像の上がる木曜日に、決着をつけてしまおうと思う。