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Brutal youth.

活動的なバカほど恐ろしいものは無い、と言ったのはゲーテであったが、その時代の活動的なバカは誰の目から見ても、そのバカがどこの誰であるのか明らかであった。しかし、今の時代の苦難はこの「活動的なバカ」が、誰ともわからない匿名でデマを振りまくことにある。

「ネット黎明期」と言われる、個人がインターネット上にホームページを開設していた時代から、2ちゃんねる全盛期に移った頃、にわかに匿名性を利用した罵詈雑言やデマの流布、悪意のある投稿等が問題になったが、その後の個人ブログ全盛期があり、そして今のSNS隆盛期になって、ますますその度合いは大きくなってきたと思っている。何しろ2ちゃんは見に行かなければ良いし、ブログもそう。しかし、Facebook(これはおおよそは匿名では無いがデマの流布という観点では同じ)やTwitterで飛び込んでくるそれらには、もう正直うんざりである。インターネットコミュニティは「当該者同士のみ」「小さなグループ」と言う小さなコミュ二ティの時代(つまりLINE)へとシフトしつつあるが、まだまだ悪意のあるそれらは健在である。情報の取得にはLINEだけでは充足しないのは明確であるし、人の集まるポータルサイトは未だ隆盛を保っているし、そして、そこのポータルサイトにあるニュースのコメント欄には、顔や名前が知れていたなら絶対に言えないような悪意のある文言がずらりと並ぶ。

川崎で起きた中学生の殺人事件で、事件とは全く関係の無い一般人が、犯人の一味としてその名前と顔写真が拡散された。

TwitterやFacebookでは、被害者のあまりにも残忍かつむごい殺され方と、現在の少年法への憤りもあり、そしてあまり考えたく無いが、その炎上っぷりを面白がる人によって、瞬くもその間違った個人情報は拡散され、結果、実行犯として起訴された3人以外は事件とは直接関係が無かったのであるが、拡散した当人は、まるで何も無かったかのように通常の毎日を過ごしている。

風説の流布については刑法233条にあるように刑事事件で裁かれる案件であるが、実質、「誰の拡散(流布)」によって「どういった信用棄損」があったかを確定しなければならないため、今回の件の場合、立件は困難だろう。また、名誉棄損に当たるため、その個人情報の火消しにサイト運営側がいくら廻っても、拡散のスピードに追いつくことは実質できない。

つまり、結局は、法やシステム以前に、こういったデマや匿名性を利用した名誉棄損というのは、個人個人のモラルに頼るしか無いね、という話になってしまうのが非常に歯がゆいが、人の抱える闇というのは言うまでもなく深刻だ。

人の不幸を望むあなた。
情報が明らかになっていないのに絶対的な悪と断罪するあなた。
表ではいい顔をしておきながら、「なんでこの人いるの?」とLINEのグループ機能を使って、目の前の嫌いな人をみんなでバカにするあなた。
自分の過去を全て人のせいにして、自分が聖人のようにふるまうあなた。
自分の不都合はしょうがないで折り合いをつけるあなた。
本人のいないところで他人を断罪するあなた。

そういった、人の心の闇に出会う度に、どうか他人を傷つけるような形の「活動的」では無くて、自分の闇は自分で処理してくれよ、もしくはあなたの最も信頼する人や、あなたの信じるものとの間で終わらせてくれよ、ということを思わずにいられない。

あなたの勝手な思いで、人を傷つける権利等、一滴もありはしないのです。