These days.

諸事情あって、何年も放っておいた段ボールの、変色したガムテープを引っ剥がすと、1989年の11月、つまり、僕が16歳の頃に撮った、ベルリンのネガが幾つか見つかった。

遠い昔のことだから、記憶は断片的なのだけれど、この写真は東西ドイツが統一されて、2週間ほど後のベルリン。2回目のヨーロッパ周遊で(と言ってもホームレスのような旅だったが)、2回目のベルリン。カメラは24枚撮りの「写るンです」一機のみ。残りの枚数を非常に気にしながら、行った先々で少しずつ撮った。1回目の周遊の時に僕は、ベルリンの壁崩壊の現場に居合わせることになったが、カメラを持っていなかった。今さら感漂うが、まあ、二度目は持って行ったということだ。

この写真の奥に写るブランデンブルク門は、まだ東西ドイツが存在していた時は、通ることが出来ないよう、完全に封鎖されていて、統一前には僕ら旅行者は、東ベルリンには行けなかったし、行ってもしようがなかった。東ドイツは貧しすぎて何も無かったから。写真を見ても一目瞭然だが、すでに通れるようになっているはずなのに、あまりにも人も車も少なすぎる。あ、壁を壊したから門通る必要無いのか。

この写真のことにもう少し触れると、さすがに写真概論の講義で「あなたはただシャッターを押しているだけですね」と言われたことだけのことはある。だって、この写真の奥に写るせっかくのブランデンブルク門がものすごく遠い。僕のことだから、遠すぎて行くのが面倒くさくなって、えいやと適当にシャッターを押したに違いない。それも真ん中に門を捉えることすら怠っている。

 

 

berlin2

この写真は上の写真にも増して衝撃的だ。右に見えるこの壁面は、壁を乗り越えようとして銃殺された人の墓標なのだけれども、上部に見事に僕の指が入っている。しかしまあ、僕の適当さ加減にもほどがあるのでは無いのか。

崩壊時にも、さすがにこの墓標は壁ごと崩してしまうわけにはいかなかったのだろう。奥には少ないながらも、壁を削る地元の人や、梯子をかけて東ドイツ(元)に行く人が見える。統一されてからまだ少し。壁の向こうの東ベルリンはどう贔屓目に見てもひどく貧しそうだ。この西側の壁の周囲は、密入国する人が見張りから見やすいように、何も無いようにしたとか。

 

25年経った今、聞いた話によると、ベルリンは非常に栄えているそうだ。ブランデンブルク門も、そして壁の周りはギャラリーになっている。ここと同じ場所で今写真を撮ったら、どんな絵が撮れるだろう。

 

 

 

 

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