Monthly Archives: 9月 2011

Motorcycle Emptiness

代官山にアジアコットンを扱う店や、タイ雑貨の店があるということでK-5持って参上。
着いたらSDカードを忘れたのに気付いてがっくり。仕事に関連する事なので詳細は書けないのだけれど、非常に実りがあった。販売を始めるに当たって、やっておくべきことが2つほど閃いた。

恵比寿~代官山~中目黒間はカップルばかりでむかつくことこの上なしだが、仕事で目が血走っているので(商品と値段、装飾などを頭にバシバシ叩き込むから)、こんな状態でデートとなった日には、相手を怒らせる事はほぼ確定である。雑貨屋、家具屋は土日が掻き入れ時であるからして、どのようなお店が、どんな理由で人気があるかの調査は、土日にしなくてはならない。

部屋を事務所化するにあたって、壁収納キットを幾つか買ってきた。まず水槽を何とかしろとの声が聞こえそうな気がするのだけれど。



写真が無いのは寂しいので1枚。買い付けに行く時にはまあ、食べるものは基本的にタイ料理が多くなるのだけれど、甘いものが嫌い(甘い雰囲気は大好きです)であるからして、写真のようなパッタイ(タイ風焼きそば。甘いことで有名)はとてもじゃないけど食べれない訳で。地元の人に、歓楽街近くにあるのだけれど、ここのパッタイは甘いのダメでも一度食ってみろよ、と薦められたので直行。めさめさ美味しかったです。日本でいうお出汁が効いている感じ。ちなみにバンコクのスクンビットソイ4のバスストップと言うレストランです。まあその手の人じゃないと非常に行きにくいところかもですが、お昼は大丈夫です。

ちなみに、他も美味いかもと思って数件周りましたが、やっぱ甘くてダメでした。甘いの食べなきゃ倒れる身体なのに。

Until The Night

大学の頃、ジャーナリズムを専攻していたおかげで、「写真概論」という講義が3単位分あった。写真の技術は無いとしても、才のある人というのは、感覚的に、ピシャリと構図を抑えることができる。ちなみに僕なんてのは、まったくもってカメラなんてものには興味は無くて、提出物もその頃流行っていたインスタントカメラ―、写るんですとかそういったもの(そりゃカメラだから写るだろ)で適当に写真を撮って提出していた。講師は元毎日新聞のカメラマンで、僕の撮った写真を見る度に、

「あーこれはただ撮っただけですねー・・・」

と、溜め息というか、どうでも良い感じの態度をとっていた。まあそりゃあそうだ。
卒業後、幾つかの職を経て、制作関係の仕事も何故か入って来るようになり、Webの仕事を幾つかこなした。才が無く、好きでも無いという、俗に言う「いいもの」ができる要素の無い状態。

一時期、風景を切り取ることが楽しい時期があって、父からPENTAXの昔のカメラを譲ってもらい、Kマウントのレンズがそのまま使用できるということでK100Dを買った。何枚か撮ってみたが、どうでもいい出来であり(まあこれもそりゃあそうだ)、放ったらかした。旅行に出る時に壊れた事に気づいて中古のK10Dを買いなおしたくらい。けれども、感情を動かさない人生を送っていた僕には、撮ってみたい、残しておきたいという対象が無いわけだから、カメラは記録や記念の意味合いでしかありえなかった。人が撮る、豊かな表情をする生き物であったり、一瞬しか出会えない夕暮れのそれであったり、そういったものは見ないようにしていた。僕は仕事しかしていなかった。

およそ5、6年ぶりだろうか。少しだけ余裕が出てきて、封印していた音楽や映画を少しずつ見たり聴いたりし、あれほど好きだった海外への旅行も行くことができるようになると、文字通り心の箍が外れた。周りにあるもの全てが心に濁流のように流れ込み、引っかき回すような感覚。心を動かしたものには関わらずにいられなかったあの頃。

僕はK-5を買った。自らが心を動かされたものを、そのまま撮っていったり、書いていけば良いと思う。

続きますように。