Mean street.

旅行中にはおざなりにしていた、Twitterの履歴をくるくると追っていると、思わず、自分のことを言われているような、ギョッとするツイートを拾ってしまう。

僕の持論に、「人間は残酷な人ほど優しくなれる」というのがあります。残酷な人ってね、相手がどう思っていようか全く関係ないんだよ。相手の気持ちなんて関係ないの。自分が好きだから言葉を尽くして気持ちを尽くすんだけど、「ああ、もうこの人はこれ以上のことは伝わらないんだな」って思ったその瞬間から、一切手を引くことが出来る。未練がましい人は、相手にかけた気持ちや時間とか時にはお金に執着する。残酷な人は、そういうものは持ち合わせていない。これ以上はダメだと思ったその瞬間から、プッツリと気持ちを切ることが出来る。優しさってそういうものなんだと思うんだ。相手の状態がどうであれ、出来る限りのことを自分がする。それでもダメって思ったら、後ろ髪を引かれながらも背中を向ける。

そういうのが優しさってもんじゃないかな。私はそういう付き合い方をしたい。

うわべだけの人付き合いというのは、僕にとってすごく苦手なことなのだけれど、ある程度親密になった人との間がズブズブなのかというと、もちろんそうではない。社交性はそこそこあるつもりだが、自分の中の足りない部分(人間的な魅力であるとか、まあそのあたり)を補完しあったり、寂しさ共有グループのようなことを嫌う。しかしまあ、そんな僕のような中途半端な人間に興味を持ってくれた、幾分かの人々を過去の遡って思い浮かべてみると、こういうパターンがなんと多いことか。「この人には伝わらない」と、上から目線でジャッジしているわけでは無い。しかし、言われた方からしてみると、それはもう残酷極まりないことかもしれない。少なくとも、自分は残酷な人間であるという自負はあるのだけれども。

背中を向けた結果の行方のおおよそはわからない。だって、背中を向けたなら、背中を向けた責任を自分なりに取らなければならない。その後を、何かしらの手段で追うことは中途半端だから。

これが優しさと呼べるならば、もう少し世の中は過ごしやすく出来ていてほしい。

写真はハンブルグ。どの通りだったのか、もう、名前もわからない。

 

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