Public enemy

写真とは全く関係が無いことで恐縮なのだが(写真はシェムリアップの裏路地の野良猫である)、最近とみに思うのは、Facebookが非常に面倒くさいことである。

日本のSNS(ソーシャルネットワークサービス)において代表的な3つを上げるならば、現在はLINE、Facebook、Twitterということになると思う。あくまで僕の見解ではあるのだけど、この3つのツールの定義をそれぞれ簡単に括るとすると、

・LINE 最も私的なツールとして活用でき、完全な公的なツールとしても活用できて、IDをどのように使うかを定義することによって、汎用性も高い。

・FaceBook 現在、公的なツールとしては最も有用。私的な利用は、利用者間で大きなコミュニケーションエラーを起こす可能性がある。

・Twitter 私的な利用は鍵をかけないと、社会的に大きな騒ぎになる可能性がある。不特定多数へのコミュニケーションツールとしては最も有用。

と僕は解釈している。

さて、最も個人間でトラブルが多いこのFacebookであるのだが、使い方が実は非常に難しい。トラブルをほとんど避けられる使い方としては、全ての自分の記事を「完全に公開する」にし、当たり障りのない、誰にでも見せても構わないトピックしか上げないことである。何が面白いんだそんなもん、という向きは確かにあるのだけれど、だからこそ公的なツールとして非常に有用なのである。

しかしながら、個人として使用を開始すると、そのうち、これは全員にはみせられないな、と思うようなトピックが出てくるわけである。するとまあ、最初にやりがちなのは「知り合い」と「友人」に仕分けをすることである。そして、その新たな投稿を「友人」に限定公開する。まあこれでもその友達の友達(ややこしいな、的確な表現はないものか)は友達がレスをしてしまえば見れるわけで、その友達の友達は、僕のトピックを見て「あ、自分には公開されてないんだ。私はハミにされてるんだ」と薄々気づいてしまう。

こういったことは以前からよくあったことなのだが、最近のスマホのFacebookのバージョンが上がって、今度はスマホでも、公開相手を1人単位で指定できるようになったことで、より密閉性が高くなったわけなのだけれども、今度はこのカスタムしたグループが地元のメンバーなんかであって、飲みの席なんかで、「この前のFBの記事でさー」なんて出ようものならさあ大変。そのグループに入れられていない人は、自分がハミにされていることがわかってしまい、ものすごく落ち込んで、僕の知っているその人は、あろうことか、Facebookを辞めてしまった。ああ、なんて残酷なツールなのか。

つまり、Facebookの設定について、ある一定以上の知識が備わっている人で集まっているのであれば、こういったトラブルは知らん顔をしているか、そのグループの人たちだけで集まってればいいのだが、なかなか世の中そうはいかない。すべての投稿を「公開」にするかわりに、公的な(仕事など)人とはFacebookでは繋がらない!としている人もいるし(それも賢い選択だと僕は思う)、何も考えずに面白いと思ったことだけを完全公開で投稿する人もいれば、自分は投稿せずに他の人の記事を見るだけ、という人もいるし、人の記事に「完全に公開する」のアイコンがあるにも関わらず、空気の読めな過ぎるコメントを投稿する不届き者(本人に悪気があるわけではないのだ、たぶん)だっている。期初の挨拶に対して、

「またまたー、昨日あんだけ遊んでて説得力ありませんよー(^^」

等書かれたら、おちおち顧客に対して真面目な投稿なんてもう絶対にできない。

さて、僕の場合なのだけれども、ほとんど個人間で交流の無い人は、得も言わず、「知り合い」に放り込んでいる。そして投稿のデフォルトは「友人限定」が最も多い。友人限定から更にカスタマイズをすると、個人間のトラブルはいつか出てくる。

「え、それ俺知らないけど」
「~~さん、Facebookぜんぜん投稿しないんだねえ、近況とか見たいから投稿してよ」

僕はこれらを言われるのは、ものすごい嫌なことなのだ。僕は、僕のやることで誰にも傷ついてほしくない。人を傷つけるしか方法が無い場合、絶対に自分が一番傷つく方法を取るから!

しかしながら、その「知り合い」と「友人」の仕分けの壁というのは、ほとほと難しく、自分にまったく絡んでこない人は「知り合い」に放り込んだり(だって僕へのニーズが無いわけでしょ?)しても、ただ読んでるROM(read only member)スタイルの人だったり、じゃあもう当たり障りの無いことを公開で、としても、いちいち「社員の人は仕事してんのに何してんの」と言ってくるめんどくさい輩はいるわけで、もう、ほんとなんやかんやで面倒くさい。

僕がはっきり仕分けるのに躊躇しないのは、相手のタイムラインで「完全に公開」の記事しか見れない場合だったんですが(自分が友人として設定されてない確率が非常に高いから)、なんでもかんでも公開でしか投稿しない人もいるわけで、あああもうめんどうくさい。あと、気づいたらその人の記事がいつしか見れなくなっていたり(つまり友人からはねられた)、結果、Facebookに振り回されて引退する人の気持ちは、非常によくわからないことも無い。

そうしていつしか、個人間の交流がある人限定では無く、人間関係に阻害を及ぼさない範囲で知り合いと友人を分けて、当たり障りのない記事だけを投稿するようになるわけです。

お義理のいいね!の数とかいちいち気にするようなネット依存症の人は、私的なツールとして使うのそろそろやめたら?という話。人を傷つけるのは嫌だけど、僕は人にどう思われてるのかまったくどうでもいい人なんでね。嫌われることが清々しいくらいだからまったく気にならないけど、純粋な人はFacebookにはほとほとむいてないよ、という話。

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