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Eat the rich.

旅行者にとって「食」はすっごく大切なもので、その不出来によって旅の印象が強烈に左右すると思ってる。

ま、いろんな人がいて、どこの国にいてても日本食しか受け付けない人もいたし、拾い食いをしてでもお金をできるだけ使いたくない人であるとか、ドレスコードのないレストランなんてクソだ、レベルの低い人と食を共にするのが恥ずかしい、という人にも今までに会っている。そういった場合、当然「てめーは自分の国から出てくんなよwwwwWwWwWWw」と思ってはいるものの、当然その場では、言えない。

じゃあ、そういったケースではどこまではOKなの?トーストは日本食?ラーメンは?んじゃ盗むのは拾い食いよりマシってなんなの頭おかしくないきみ?そういう発言するあんたのレベルって畜生以下だけど、あんたが食ってる畜生に今ここで謝りなよ?というようなハートフルな切り返しでその場を潜り抜けてきた僕ですが、今日はドイツ旅行での食に関する話です。あ、後半2つは潜り抜けきれなかった気もしますけど?

まず、日本と比べて、欧州では外食費が高い。日本は先進国の中でも外食費はかなり安い国。個人の旅行ではこいつが問題になります。そりゃあヒルトンレベルしか泊まらない旅行しかしない人には関係ないんでしょうけど、そういった方々はまあ散々観光地にお金落としてくれる役割を担ってくれれば良いわけで。いやあさすがお金持ち!朝から1500円もする朝食バイキングがついたツアーなんて贅沢ですね!あれ?クロワッサンとコーヒーしか食べないんですか???あ、高級ホテルの雰囲気ですか!?すいませんすいません失礼しました!

でまあ、だいたいの個人旅行ブログでは、駅にあるインビスや観光地の屋台で昼ごはんを済ませ、夜は何日かに一度レストランで、というような傾向が多いと思います。日本じゃファミレスでも1000円で済んじゃいますけどね。今日、ミュンヘン郊外のダッハウつー駅でマックにコーヒー買うために入ったら、マックチキンナゲット6ピースが550円だしね。いやあ切実。で、まあドイツなら、

  
どこでも食えるこいつですね。すごく…大きいです…。これは安いとこなんで2.2ユーロ、300円。これにミネラルウォーターで500円。あとはドイツと言えば何故かケバブ。5ユーロ、700円ってとこですね。むむむ。

こういうのに食べ飽きてたまに入るレストランは最低でも夜なら2000円越えちゃうしね。しかもドイツは肉の加工品、パン、乳製品のレベルは日本を軽く凌駕するけど、料理となると、こういうソーセージ何本か(うまいんだけどね)、もしくはなんらかの加工された肉製品に、これまた何らかの調理をされたポテトかザワークラウトがわっさーついてきてどーん、これとビールで2000円になりまあす!というだけ。そりゃあ当たりもあるんだろうけど、料理はイギリスが一番不味くてその次はドイツが定説。

んで僕のおすすめの方法なんですが、

個人旅行はスーパーマーケットの場所をまず確保するべし。

  
どーん。

 
どーん。

  

もうこの辺、日本とデパ地下と比べても激安wwwwWWwwwWWWwwwWw

このスーパーはミュンヘン中央駅正面のKarstadtっつー高級スーパーなんで、ふつーのスーパーならもっとお安いはず。全て100g量り売り、それも切り出しのこのお値段で、こーんないわゆるトムとジェリーチーズや、すごーい生ハムがいただけるんで。また、ふつーのペットボトルも駅よりは半額くらいとかなーりお安いです。

注文するのに少し敷居は高いけど、指差しとグラムくらい言えりゃいいわけだからなんとかなる。

出費を抑えてその地の美味しいものをいただく!知識は浪費を賄う。ごちそうさま!

LETTERS,LIGHTS,TRAVELS ON THE STREETS.

 小沢健二の「僕らが旅に出る理由」の英題。少々洒落た人たちの多くが大好きだったオザケンは、そのブームが終焉に近づくと、本当に世界を巡る旅に出てしまい、帰ってこなくなってしまった。最近ぽつぽつと話し始めた彼によると、どうにもそうしなくちゃならない理由があったらしい。彼はまるで訪れた地を住むように旅をして、いろんなたくさんの国に住んで、たまにインストのみのボーカルの入っていないアルバムを僕らに届けた。その頃は彼の音楽を追いかけている人はすでに多くなかったが、彼のアルバムの中で最も素晴らしいのはその時期の、「毎日の環境学: Ecology Of Everyday Life」であると思う。ハラカミレイ辺りが好きな人は間違いなく必聴だが、今回の話の要点はここでは無い。

旅に出なくちゃならない理由は僕にも幾つかあって、その理由が幾つか積み重なったことによって、何故か今、僕はミュンヘンにある小さなホテルでこれを書いている。不思議だ。写真はミュンヘン中央駅。

今日から、ドイツを列車で巡る旅に出ます。

Promised Land.

自分自身を主張するのは大切なことだと思うけれど、相手に自身の主張を強制するような人とは積極的に距離を置きたい。僕は、我慢強くやっていくことは得意だが、「ここまで」と決めたらもうそこまでだ。一生、二度と翻るようなことは無い。最後に罵詈雑言を言い捨てることも、共通する知人に悪口を吹き込むこともしない。

だって、自分の魂が腐る事だけは勘弁だからな。

These days.

諸事情あって、何年も放っておいた段ボールの、変色したガムテープを引っ剥がすと、1989年の11月、つまり、僕が16歳の頃に撮った、ベルリンのネガが幾つか見つかった。

遠い昔のことだから、記憶は断片的なのだけれど、この写真は東西ドイツが統一されて、2週間ほど後のベルリン。2回目のヨーロッパ周遊で(と言ってもホームレスのような旅だったが)、2回目のベルリン。カメラは24枚撮りの「写るンです」一機のみ。残りの枚数を非常に気にしながら、行った先々で少しずつ撮った。1回目の周遊の時に僕は、ベルリンの壁崩壊の現場に居合わせることになったが、カメラを持っていなかった。今さら感漂うが、まあ、二度目は持って行ったということだ。

この写真の奥に写るブランデンブルク門は、まだ東西ドイツが存在していた時は、通ることが出来ないよう、完全に封鎖されていて、統一前には僕ら旅行者は、東ベルリンには行けなかったし、行ってもしようがなかった。東ドイツは貧しすぎて何も無かったから。写真を見ても一目瞭然だが、すでに通れるようになっているはずなのに、あまりにも人も車も少なすぎる。あ、壁を壊したから門通る必要無いのか。

この写真のことにもう少し触れると、さすがに写真概論の講義で「あなたはただシャッターを押しているだけですね」と言われたことだけのことはある。だって、この写真の奥に写るせっかくのブランデンブルク門がものすごく遠い。僕のことだから、遠すぎて行くのが面倒くさくなって、えいやと適当にシャッターを押したに違いない。それも真ん中に門を捉えることすら怠っている。

 

 

berlin2

この写真は上の写真にも増して衝撃的だ。右に見えるこの壁面は、壁を乗り越えようとして銃殺された人の墓標なのだけれども、上部に見事に僕の指が入っている。しかしまあ、僕の適当さ加減にもほどがあるのでは無いのか。

崩壊時にも、さすがにこの墓標は壁ごと崩してしまうわけにはいかなかったのだろう。奥には少ないながらも、壁を削る地元の人や、梯子をかけて東ドイツ(元)に行く人が見える。統一されてからまだ少し。壁の向こうの東ベルリンはどう贔屓目に見てもひどく貧しそうだ。この西側の壁の周囲は、密入国する人が見張りから見やすいように、何も無いようにしたとか。

 

25年経った今、聞いた話によると、ベルリンは非常に栄えているそうだ。ブランデンブルク門も、そして壁の周りはギャラリーになっている。ここと同じ場所で今写真を撮ったら、どんな絵が撮れるだろう。

 

 

 

 

Only the good die young.

一昨日辺りから、おおよその人にとって、普遍のテーマとも言えるだろう「死」について考えている。 とはいえ、それはべつに、僕が病んでしまっているというわけではまったく無くて、あるきっかけで、先週末からヨーロッパ近代史の史料を探しているうちに、近代史ではどうしても触れない訳にいかない、虐殺の歴史(魔女裁判、ホロコースト、ソビエトの強制労働死等)で、かなり深く関心を示してしまったからに他ならない。

「人の命は平等」
「いのちを大切に」

僕らはこれらが、当然のこととして日々を送っているが、歴史的にこれらが当たり前になったのは、実は、近代になってからのこと。しかしながら、日常的に僕らがさして興味を示すことも無い、諸外国では未だに、人の命は平等では無いのが事実である。平和なこの国で、衣食住に事欠かない生活がほぼ当たり前かつ、それがまるで当然の権利のように僕らは生きている。何かのきっかけで、今の僕たちのこの恵まれた状況に感謝を感じることはあれど、そんなことを考える機会はあまり無い。たまにニュースで目にする、ひどい死に方に対しても、基本的には人ごとだ。そういった事件が身に降りかかることがあるかも、なんてことを僕らは考えもしない。考えたとしても、次の瞬間には食べ物や異性や次の日の休みの予定のことを考えている。べつにディスっているわけでは無い。こんなことを考えねばならない理由も、必然性も、みんな自分のことに必死で、そんな心の余裕は無いのだ。噛み砕いて説明してくれるのがネットやテレビのニュースである、というだけの話。

今の僕たちにとって、おおよそ現実離れしている、そういった様々な死について、特に昨年から今年にかけてはそういった事件が多くあったが、恥ずかしながら自身の教養不足によって、人に説明する時に、欠落が発生していた。現代に起こっているこれらの事象について、人として理解と教養をもう少し深める必要があるだろうと考えた。また、そのためには特に事件の背景にある、伝統、文化、歴史から学ぶことがどうしても必要である、ということで、主に歴史書漬けの最近であった。

一つの事件における(例えばアウシュビッツ)、様々な研究家の著作や当事者の一次資料を溺れるように読む。もちろん、それぞれ見解は異なるし、どこかの新聞社のように、結論と思想ありきの誘導への分析となっているクソもあり、日本とナチスを並列で語る本もあり(そう考えている現代の日本人は多いかもしれない)、また、逆に、大量虐殺は無かったとするホロコースト否定本もある。が、自身の思想に合う本を読む、というのはおおよそ公平性に欠けるので、ちゃんと(いちおう)目を通す。そして、自身なりの公平なジャッジメントで自分の立ち位置を確定していく。「この事象について自分はどういった立ち位置に立つのか」ということは僕の中では大変重要なことだ。身近な事象でもこれは同じ。利害関係が発生する事象において、片方の主張だけ聞いて、判断や結論を出すということはあり得ない。完全な天秤となることは難しいが、フェアである人間であろうと、自分で言うのもなんだが、努力はしている。

そんな中、昨日、社用の帰りに近所を歩いていると、ある知り合いに偶然会って、ガンになった話を聞く。「ガン=死」のイメージは、確かに一般的なものだ。告知の後、メンタルがかなりやられてしまったとのこと。そりゃあそうだ。僕はその方の気持ちを全て理解することは出来ないけれど、気持ちは察して余りある。その不安に、人に話さずにはいられなくなってしまう気持ちもわかる(僕はそうではないけれども)。波長があったようで2時間ほど話す。何度か笑ってくれたことが有難い。 別れてから、今度は「身近な死」について思いを巡らす。当然、そういったことを考えるのは嫌なものだ。しかし、僕は「そんなこと考えずに明るいこと考えようよ」という人では無い。自分自身のどうしようも無い悩みなら、そう考えるのは理解できないことも無いが、彼は善人で良い人なのである。考えないわけにはいかない。

自身に対する死生観はすでに確立されているから、自分のことはまあどうでも良いが、やはり、身近な人の死はやはりうろたえるし、悲しいし、心が捕らわれる。
そんなことを考えていたら、ふと、昨年亡くなった、ある大切な友人であった女性のことが頭の中を去来する。

彼女が最後に行ったのはプラハだった。

偶然にも、ヨーロッパで繋がった。

※写真は去年訪れたベンメリア遺跡。ラピュタのモデルと言われる(時代的に疑わしいが)。僕はここで何故か死を感じた。